やまのひつじが書きますよ。

内にあるものを外へ。ただそれだけ、ただそれだけ。

『おとな』ってなんだろー?

さて、今夜はもう一つ書いてみることにします。

成人の日も近いので「おとな」について。

 

 

私は今27歳、あと数ヶ月で28歳になろうとしています。

小学生、中学生の「こども」の頃を考えれば十分「おとな」になったと思います。

 

でも、何を根拠に「おとな」になったんだろう?

 

「こども」の頃は単純に年を重ねれば「おとな」になれると考えていたんだと思います。

 

しかし、いざ蓋を開けてみたらどうでしょう?「まだまだこどもだなぁ」と思うこともしばしばで、想像していた「おとな」には全然なれていません。

 

 

つまり、ただ漫然と年を重ねているだけではいつまでたっても「おとな」にはなれないということ。

 

 

もちろん二十歳になれば、「選挙権与えます、酒も飲めます、タバコもどうぞ」ということになる。まるでエスカレーターのように。

 

 

ここで言いたいのは中身のことです。

俺だってこのままいけば順調にハゲていって立派なおっさんになれると思います!!外身は。

 

 

このことを鷲田清一内田樹の 『大人のいない国 (文春文庫)』ではこんな風に書いてあるので、少し引用します。

 

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鷲田 今の日本には大人がいないんですよ。いるのは老人と子どもだけ。若い人はみんな、もう自分は若くないと思っているし、オジサン、オバサンたちはまだ自分はどこか子どもだと思っている。成熟していない大人と、もうこの先がないと思っている子どもだけの国になってしまいましたね。

 

内田 学生たちに聞くと「とにかく年をとりたくない」って言うんですよ。まだ二十歳ですよ。子どもなのに、大人になりたくない、と。それも仕方がないかなとも思うんです。だって成熟した人間のロールモデルがいないんですから。彼女たちにしたって、まわりに大人の女の人がいたら、言われなくてもその人たちに憧れて、その成長をモデルにすると思うんです。でも、そんな人どこにも見あたらない。いるのは「シワシワになった子ども」ばかりでしょう。だから、彼女たちは年をとるということを、中身は今のままで、外見だけがただ衰えるだけだと思っている。

 

 

 

こんな感じです。なさけないと思いませんか?

でも、実感としてはかなり当たっているんだと思います。

 

 

まだまだ俺もどうしたら「おとな」になれるかってのは、はっきりとはわからないけど、ひとつだけ言えるのは…

 

 

『他人事にしないこと』

 

これに尽きるのかなぁと。

選挙だって政治に無関心ではいられるけど、無関係ではいられないのに、どうしちゃったんだろう?って思います。

 

 

幸運なことに俺は学生時代や社会人になってからも「かっこいい大人」に出会えて来た。自分がこれから出来ることといえばロールモデルになること、「背中で語れる大人」になることです。

 

 

『他人事じゃなく、自分事に。自分の未来は自分でつくる』

 

 

今年も各地の成人式で、市長の挨拶以上に恒例になってしまった、暴れる若者たちがニュースになってしまうんでしょうか?

(そんなのがニュースになってしまうこともまた「こども」な気がする)

 

みんなで「おとな」になろう。

 

 

おわり。